私のなりたかった職業

今日はキリンジのことじゃないです(笑)えっと、キリンジのことも書きましたが(笑)、この続きはキリンジのことじゃないです。
私は本当に生意気な子供だった。一筋縄ではいかない、ということが生きていく上での最大のモットーだったんじゃないかと思う。それは今でもある程度は息づいているんだけども。
前にも書いたことがあるかもしれないけど、小学校4年生くらいまで、私は作家になりたかった。子供が読んでいてわくわくするような物語を書く人になりたかった。
しかし文才なんてない私。母親に「作家が無理そうなら、お医者さんになったら?」と言われたとき、それは名案に思えた。目からウロコが落ちた。そういう道もあったんだ、きっと作家と同じくらい人に喜んでもらえる職業だろうと思った小学4年生の私。
だけど、それと同時に、私は心のどこかであきらめた。すこしだけ、残念な気持ちになった。そのことからは目をそらしてきた。大学卒業して、研修を終えるまで、ずっと。
私は精神科医になった。そこで初めて、私が今まで気付かないふりをしてきた「残念な気持ち」について考えてみることにした。
なぜ知らんぷりをしてきた気持ちについて考えることにしたのか。そのこと自体に大きな意味がある。
実はもう、その「残念な気持ち」は消え去ってたんだ。だから、考えることができるようになったんだ。
で、考えてみた結果、分かった。あの「残念な気持ち」は多分、クリエイティブな仕事に就けないことへのあきらめだ。
私が作家に憧れてた理由。それは本を読むのが大好きだった、ということもあるけど、それよりももしかしたら、クリエイティブな仕事という部分に惹かれていたんじゃないかと思う。作家というのが、その頃の私にとって一番身近な、ルーティーンワークではない職業だったんだと思う。ほら、一筋縄じゃないじゃない、作家なんて。
お医者さんにかかったのなんて、ありがたいことに風邪引いたときくらいだった。だから、医者になるのがどういうことかなんて想像できなかった。毎日毎日風邪の人を診察するだけだろう、という相当貧相なイメージ。医学生になって、世の中にはこれほど多くの病気が人を苦しめてるんだということは分かったけど、各科のいろんな病気に治療ガイドラインというものが存在していた。
精神科の世界に入って、はっとした。ここはガイドラインのない世界。大きい治療の流れはあるけど、具体的なやり方はないに等しい。患者様は一人一人思うことが違う。同じ言葉をかけても、反応は違う。正しいやり方、何が正解か、断言ができない世界。
今の私はクリエイティブな仕事をしてるって、胸を張って言える。そのことに気付いた。これは、私がなりたかった職業なんだ。
幸せだと思う。この職業に就けたこと。この事実に気付けたこと。
精神科の患者さんは、いろんな人がいる。なかなかよくならない人も多い。だけど、今日、外来に来てくれた私の患者さんは、とても元気になった。診察室でいつも、「よかったです」「よかったです」と言い合う。笑い合う。未来について語る。実は私は毎回涙をこらえながら、その人と向き合っている。そのうち、私の外来に来なくて済む日も来るだろう。それがまたうれしくて、涙が出そうになる。希望を持てる。私のやっていることも正しいんだって、少しくらい、自信を持ってもいいよね?
この気持ちをいつまでも忘れずにいたいと思う。うまくいかないときこそ、工夫のしがいがある。やり方を見つけたときの喜びも大きい。精神科に入ってもうすぐ一年、私はすでに、その喜びの虜なんだろうと思う。
作家をあきらめた小学4年生の私に言いたい。がっかりすることなんてないよ、あなたのなりたい職業はなかなか悪くなかったよ、って。